同行二人
PHPから出版されている「同行二人」を読んでいます。松下幸之助さんの伝記で、とても楽しいです。読みやすいのでまだ読了していませんけど皆さんへもお勧めします。![]()
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興味深々でwishです。![]()
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絵画や音楽や彫刻などで過去や現在にわたり名作とよばれるものが人のこころを感動さ
せるのはなぜだろう。
ある意味でそれはそれが持つ美であろう。しかし絵画では私は抽象的なものはあまり好
きではない。その良さが私にはよくわからないのである。
また美の中に隠れているもので対称性がある。私たちが人を写真にとれば人が左右対称
であることにきずく。其の中でもより対称性の度合いが大きいほど美形になるのである。
ついでにいえば頭もよいのではないか。だけれども美人がすべて知恵が有るとは言えな
い。そして心優しい人かも分からない。
児童生徒たちは学校で絵画を描いてゆく。その中でデッサンや写生は自然という元から
自分への写像にほかならない。小学校へ上がるかまだかという幼子たちの絵は本当に面
白い。無念夢想のほほえましい作品に心休まる気がする。
一般的に言って二十歳ぐらいでまだ絵を描いている人は稀だろう。だけれども全国にい
ろいろな美術展があるので誰でも応募できる。才能と努力により美術や文学などは門戸
が広くあけられている。それに対して音楽や彫刻などは間口は狭い。
音楽についてはテレビに出られる方はほんのわずかな一握りの方だろう。しかし歌のレ
ッスンをしている人はかなり沢山おられると思う。ちょうど氷山の下のように。そして
若向きのミュウジシャンたちが独自のファンを掴んでいる。音楽界で一発当てるのはそ
うたやすくは無い。また仮に一回当たったとしても、その後活動が順調にいくのもかな
り難しいことだと思う。ネットをうまく利用すれば、一考であろう。
文学の世界で言えば私はノンフィクションの方がフィクションより好きである。でも優
れた作品ならばどちらも読んでみたいと思う。最近二十歳未満の方が芥川賞を受けられ
たが、さすがに面白かった。「綿矢りさ」というかたの作品を読ませてもらった。この
作品は出版部数が100万部を超えたとか聞いた。ミリオンセラーである。
フィクションの作品のなかで作者は独自の仮定の世界を創り現実を踏まえなどして空想
して物語をかたる。起承転結のものや短文のものなどや長編のものなどいろいろあると
思うが何らかの形で人の一生をそれぞれが含んでいるようだ。
それでは人の生き方で何が心うつのでしょうか。それは真善美のなかのどれかだろうが。
おそらくそうだと思う。
男の美学として剣に生き剣をもって戦死した新撰組の副長土方歳三や武装中立を計り長
岡藩の方向を対官軍として指揮をとり己を腰抜け武士と自嘲した河合継之助らがいる。
真といえば戊辰の役の時の彰義隊を思い浮かべる。主人が謹慎していたなかで、なお佐
幕の意地をみせた武士たちの存在にはおどろく。それがたとえ組織化されていない暴徒
のような者であったとしても。もし大村益次郎のような軍略家がいなければ上野戦争時
わずか一日で官軍の勝ちとは行かなかったかもしれない。官軍は確かに江戸城を無血開
城させ時の流れを掴んでいたが、東日本をすぐに平定させるだけの兵力はまだ無かった
らしい。ここで火力の優勢な肥前の力がどうしても必要だったという。リーダーの差で
佐幕側は不利だったと思う。関東のあちこちに不穏な動きがあったが、上野戦争後は官
軍が漸次押さえ込んでいったらしい。
善といえば東北の詩人の宮沢賢治や栃木の政治家の田中正造をまず思い起こす。どちら
も農民の生活の改善のため献身された。おふたりとも常人の到底なしえない苦労をされ
た。世に偉人の評を聞く人は多いが最近ではあまり耳にしない。だれが偉くてだれがつ
まらないか等を言うことが意味の無い時代なのであろうか。
近頃の判例として政官学の世界で無作為の罪が問われるケースがある。ミドリ十字製の
血液製剤エイズ事件や水俣病拡大放置事件などである。公務員は市民の血税で雇われて
いるのであるから、ハローワークの職員などは役所をでて死に物狂いで就職先を探して
廻っても良いのではないかという意見をどこかで聞いたことがある。単なる献身ならば
医師や看護師も平常行なっていることである。
昔小学生の時、担任の先生がこの世で一番美しいのは何だ、と皆に質問されたことがあ
った。みんな答えに窮した。先生は即答されたか後日言われたかよく覚えていないが、
答えはなんとみんなのお母さんの体の線だといわれた。その時の答えの意味は後年にな
ってやっとわかった。
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近年犯罪者が増えて来ていることが話題になっている。それにともなって犯罪者を収容
する刑務所が容量不足らしい。経済効果を期待していろいろな地方自治体が刑務所誘致
を提起しているという。刑務所ができれば刑務官がやってきていろいろな物品の消費も
増えると予想されるからである。一国民としてこの現象をみればなんとも情けないこと
だ。交通犯罪などは車社会の拡大から事故の件数が増えるのはあるていど予想されるこ
とかもしれない。しかし車両の追突を未然に防ぐシステムがひろく定着すれば人身事故
も減る可能性があるだろう。未来の燃料電池車はより一層の安全対策が施されるかもし
れない。さらに車の安全性について言及すれば三菱自動車本体や系列会社の車リコール
の問題がある。同社の車の構造に重大な欠陥があることを会社ぐるみで隠蔽しユーザー
に多大な事故をひきおこさせた。死傷者を多くだした。三菱という名門企業の名前に同
社トップが決して消えない泥を塗り付けたのである。その犯罪の目的は何だったのだろ
うか。司直の捜査を待たないといけないが経済人としても技術者としても失格である。
また大阪の食肉大手のはんなんという企業が米国産の牛肉を国内産と偽装して流通させ
た食品法違反の事件があった。事件の会社会長は偽装の事実が明るみに出た直後に自殺
した。その事件の結果で狂牛病になったという報道は聞かないが結果はそれで終わりで
はなかろう。ほかにも似たような事件があるだろうが企業人のモラルにかかわるもので
ある。たとえば血液製剤の販売での産官学の癒着の重大事件があった。人々はこれらの
事件を知りなんという思いだろう。一体何を信用すればよいのか。
またときおり児童生徒の犯した犯罪が世を驚かすことがある。14歳未満の人は刑法を
適用できないとするらしいが、幼児虐待の場合は親が行なった場合刑法に触れる。大阪
の池田市の小学校でおきた児童殺傷事件はまだ記憶に新しいものである。このときの犯
人は大人であったと思う。
最近(2004/6/1)長崎県の小学校でパソコンのインターネットのHPでの書き
込みが元で小学校6年の同級生が片方の児童をカッターナイフで切りつけ死亡させると
いう前代未聞の事件がおきた。平静は仲のよいもの同士だったというだけに不思議な事
である。殺人者は殺意があったというから驚きである。俗にきれたということかもしれ
ないが加害者の学校や家庭ではどういった指導を行なっていたのだろう。小学生でイン
ターネットができるとすればかなりパソコンの基礎知識も持っていたのだろうし知的レ
ベルも高かったのではないか。筆者もパソコン通信でチャットを楽しんだ覚えがある。
なにせ遠くの人と気があえばすぐ友達になれるからである。その反面パソコンに向かっ
てメッセージを打つのであるから直接相手に会い対してよりも変な会話になる恐れがあ
るかもしれない。お互いにテレビ電話方式ならともかく話あいての表情を見ずに会話を
するのは危ない。この件では掲示板を介しての対話であったが、掲示板は記録に残るか
らかえって危険かもしれない。小学生の時代に殺意を持って殺人を犯すとは一体どんな
家庭環境なのだろうか。インターネットのプロバイダーにあるソフトを載せるときその
掲示板の責任者がいて会員が不法なウィルスなどを入れないかかどうかをチエックする
場合がかつてあった。筆者の過去ではである。もし掲示板に他人を中傷や誹謗するケー
スがあれば掲載をやめさせるなどの処置はできなかったのか。それは本当に残念なこと
です。
電話回線を子供に使わせるのは悪なのか。
思いが回転するが、子供のけんかがかくも大きな犯罪につながるとだれが予想するだろ
うか。詳細な状況は家裁などの調査をまたねばならないが現代の義務教育の現場でやさ
しさとか思いやりなどの気持ちを醸成していくことがはたしてできているのだろうか。
一見平和そうな日本で実は拉致の問題があり自衛隊の海外派遣やオーム真理教の無差別
テロなどが連綿として経過してきた。
デジタルの世になって人々はその便利さに取り込まれていったが、はたして本当に正し
い幸せなのだろうか。お金や名誉や地位などでは考えにくい犯罪が増えてきているのだ。
子供たちの遊びの世話をするお年寄りのかたが現在はあまりおられないようだが、遊び
はどうなっているのだろう。よく学びよく遊べとはよくいったものだ。過度の習い事は
情報の過多をもたらし、人に悪影響であろう。
いろいろな事件に敏速に対応できる情報機関の創設および活用が真に求められている。
複雑になった社会ゆえに警察では対応しきれないだろう。もはや。
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ここで述べる参謀とは一般的な補佐役のようなもののことである。最も基本
的な組織は家庭であり司令官は夫であり参謀は妻であろう。状況により入れ替
わりがあるかもしれない。学校等では校長が各校の総指揮者であり教頭先生が
参謀と言ってもいいだろう。地方自治体の場合は市長がトップで助役等が参謀
となるだろうが、組織が大きすぎて部課長などの場合はどうなるのかという疑
問もある。県知事の場合もしかりである。
では一般企業の場合はどうだろう。社長がトップであり専務か常務あたりが
参謀となるのでしょうか。国の場合は首相がトップであり官房長官が参謀とな
るか、もしくは副総理が決めてあればその方になるかもしれない。
参謀という言葉がいったい何時頃から使われるようになったのでしょうか。
私の知るかぎりでは幕末のころの奇兵隊などの近代軍制においてよく現れてい
ていたと思う。似たような言葉で官房と言うものが現在の日本の政府にある。
もしかして鎌倉時代ごろから発生したのかもしれない。
さて人間ひとりでなんでもできるわけではないだろう。食事や掃除やその
ほかの家事をやりながら仕事をして地域の人と和やかに共生していくのは大変
なことだと思う。ひとり暮らしは近所の人に心配をさせる。親戚のものにも。
また教育の場合中間管理者や責任者が孤独感により自殺するケースがあり、
職員間のほうれんそうが期待されている。
参謀の成功例としてソニーの井深さんと盛田さんのコンビがある。盛田さん
は主として営業畑を歩かれある意味で参謀であった。また本田技研の本田さんと
藤沢さん(誤記かもしれない)の場合。どちらも改めていう必要もないだろう。
また織豊時代の秀吉と秀長の場合家康と本多の場合などがある。近代では日露
戦争のときの日本海海戦の東郷と秋山の場合や陸戦の大山と児玉の場合などで
ある。幕末そして戊辰戦争のとき官軍は参謀に部隊の作戦や実戦の指揮権を与
えている。総督は主としてお公家さんが任命され形だけのトップであった。
幕末戊辰戦争のときに話を移す。
あまり知られていないことだが奥羽鎮撫の援兵隊の参謀として前山精一郎がいた。
彼は肥前の出身であり千名程の兵隊を率いて仙台や秋田などを転戦しやがて
東北地方が治められて東京へ凱旋した。前山達が東北地方へ派遣されたのは、
大村益次郎らの命令であったという。援兵隊の武器は元込め式の最新銃であった
らしい。
戊辰の役が終わったときの賞典禄として450石を貰っている。その時の賞典禄
として長州の山県有朋と前原一誠がそれぞれ600石であったことをみればかな
りの額であったことがわかる。この時の禄は永世禄であり子々孫々まで与えられ
るものであった。維新がなったその後官途につかず千葉県の方で土地を買い入れ
同郷の士と農業開拓にいそしんだという。
彼は参謀出身としてただ独りのみ爵位を受けなかった。彼が手にした畑は今落花
生の名産地となった。彼の事跡は「明治維新と名参謀前山精一郎」東京図書刊に
詳しい。なかなか理解に苦しいが興味のある方はぜひ読んでみてほしい。
もし参謀が力不足の愚人であれば指揮官は大変だろう。たとえば日露戦争のとき
の乃木将軍と伊知冶(誤記かもしれない)の場合がある。最前線の兵は後の特攻
隊のようにトーチカへ突進し露兵に機関銃でばたばたと撃ち殺された。あまりの
悲劇で児玉源太郎満州軍総参謀長が一時指揮をとった。
それに徳川慶喜と小笠原の場合がある。鳥羽伏見の戦いで負けたが、なぜその
まえに勝安房や大鳥圭介らを側近として大阪城に呼んでいなっかったのか疑問で
ある。もし彼らがいれば緒戦でやすやすと負けはしなかっただろう。最近気付い
たことだが新政府軍側はどうも最新型の武器を持っていなかったらしい。ただ気
力と指揮系統において幕府がはに優っていたらしい。兵力からいえば三倍の差で
あるが陣形に劣っていたらしい。新政府側は最初から幕府軍と戦うつもりである
のに幕府側は入京交渉を行なっていた。幕府側はみとうしが甘かった。
今年(2003)自衛隊がイラクへ派遣されることになったが、すでに40ケ国
位の国からイラクに軍隊が派遣されているということだから日本はすでに後発で
ある。テロに遭う可能性が高いがどうか派遣チーム一致協力して目的を果たして
欲しい。日本の本部と現地との間でまた部隊内においてもほうれんそうを重視
して頑張ってほしい。
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平成16年12月、NHKの人間講座で米長邦雄さんの番組があった。テレビ放送なのだ
が音声のみをラジオで聞いた。放送内容はテキストで事前に読めるのであるが、やはり
映像も見たかった。放送が夜遅いのでもうすこし早い時間帯にあればよかったと思う。
再、再々放送もあるので一度見逃してもまだみれる機会はあるようにNHKが配慮し
ているのだが。氏は将棋棋士である。
最終回の放送できずいたのは人間にはだれでも寿命があるということである。いつか
この世から亡くなるので、その後のことを考えていないといけないとのことだ。死の直
前まで何らかの目標をもって生き抜くことが、とても重要だといわれていたと思う。人
間死んでしまえば、後は野となれ山となれではいけない。後事を誰かに託すというか思
いをだれかに伝えることも同じく重要なこととの指摘もあった。氏にとってのみかどう
か確認していないが人生60歳が一つの大きな節目になり、それからの余生をどうやっ
て幸せに暮らせるかが問題であると言われていた。米長さんはちょうどこの歳で将棋界
の現役を引退されたのでご自分の場合を主としての発言とも受け取れる。60歳までは
その次の生への修行であるとも言われているのだが。
米長さんは将棋以外の書籍も多く出版されそのどれもが大変面白い内容だと思う。私
の知るかぎりではあるが。
しかしエネルギーを将棋以外に振り向けたため中原誠らにすこし水をあけられた感がす
る。もちろん米長さんも棋士として飛び抜けた実力者ではあったのだろうが。
話は変わるが最近の氏の写真をみるとなんだかとても老けた感じがする。生気がどこか
へ消えうせたようにもみえる。私はそのことに気ずいて氏に健康を祈ってはがきを送っ
た。
何事につけ自分の仕事というか天職というようなものを生涯現役で続けられるのはと
ても難しいことだと思う。将棋でいえば故大山永世名人のような方もおられたのだが。
氏は公式戦以外のときは各地で講演をされたりしていたので私も自分の勤務先へ来て
欲しかったのだが、根回しがまずくて結局実を結ばなかった。米長さん招致の件である。
それからもう10年ぐらい経つのだが、米長さんは紫綬褒章を受章された。2004
年秋の園遊会で皇居に招かれた時、「私は日本の全国の学校で国旗をあげ国歌を斉唱す
るようにします」と言われたことがある。天皇は「強制はいけませんね」と即座に答え
られた。将棋の普及に力を注ぐという米長さんの意気込みは分かるが上記の発言は失言
であったと思う。天皇が政治に介入の発言をされたかの印象を世間に与えたからであろ
う。宮内庁は翌日の新聞に天皇は象徴天皇の範囲でのご発言であり何も問題はないとい
うコメントをだした。
すこし話がそれたが氏が勝負師として文化人であるのは確かだろう。優れた啓蒙家で
あったしこれからもそうだと思う。
平凡だけれども幸福な生活を一生おくれることは簡単そうだが難しいことだと思う。ど
んな人であれ死ぬまで自分の満足する一日一日を送りぬければそれで良いのだという米
長さんの論は傾聴に値すると思う。
最近の話だが、2005年(平成17年)から米長さんが将棋連盟の会長になられた。
任期は2年である。余談ながら。平成19年現在も氏は将棋連盟の会長である。再選されたのだ。
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藤原先生の最近出版された「古風堂々数学者」や「国語こそ祖国」など大変面白く
読ませていただいております。小学生の低学年から国語に重点をおいて色々なことを
言葉を使って思考するという試みは私も大切なことだと思います。ところで実際には
何を教えるのでしょうか。私なりに考えてみれば、たとえば古文や漢文や書道や数学
基礎や国語の読書や作文などですが先生はいかにお考えでしょうか。大変多くの選択
枝があるとおもいますが、最近学校でゆとり教育がとりいられ個々の先生の独自な
授業が取り入れられるようになったと聞きます。日本の教育の見直しの絶好の機会だ
と思います。しかしいかに努力しても難しいことがあるようです。音楽や英語や数学
など創造の世界では大変若い時分から始めないと実を十分あげるのが難しいと聞きま
す。
最近の調査で報道されたことですが、驚くべきことに少中校での生徒の学力が世界的
に比較してかなり深刻なほど低下しているのだそうです。そのせいで政府は教科書の
内容を一新して学力の低下を抑えようとしました。現場の先生たちはがんばって状況
を打開して欲しいものです。それに時間割もかなり数学や英語を重視したものになって
いるようです。
余談ですが数学者の故岡潔さんの本で「情緒と創造」というものを読んでみました。
そこに情緒という言葉が何回も出てきます。しかし私はそれがなんであるかなかなか
よく分かりませんでした。ところが藤原さんの「数学者の休憩時間」のなかにその情
緒という言葉が再び頻出しているのに気が付きました。それは喜怒哀楽や友情や勇気
や愛国心、正義感やさらにその上位のものを含んでいるというもので意味が広く漠然
としたものだそうです。その中で重要なものを2つ選べば他人の不幸に対する敏感さ
となつかしさであるといわれています。端的にいえば思いやりの心と山河への憧憬で
しょうか。この世に生まれてきたいじょう何かをこの世に有形無形に残して逝きたい
とだれもが思うのではないかとおもいます。その気持ちが創造へとつながってゆくの
かもしれません。
ひとりひとりが独自にテーマを決めてみんなでそれぞれの結果を批評しあうというの
はどうでしょうか。もちろん先生もふくめてであるが。また近年の少子化のため一ク
ラス30人ぐらいになりそうなのでその点では先生が個々の生徒のめんどうを見やす
くなったにちがいないでしょう。数学では「大学への数学」という月刊誌がありかな
り難易度の高い問題を多数のせています。同誌内には通信添削の問題があり何百人の
生徒たちが応募し高い数学レベルの回答がみられます。私などは到底かないそうにな
い問題ばかりです。入試のように短時間での回答ではなく何日ももち時間はあります。
また数学に関するセミナーを夏場に信州などで行い頭脳や体力をきたえるという考え
はどうでしょうか。体力に自信のないひとは数学のみでも良いでしょう。そこでは群
論の応用ぐらいをめざして内容をきめます。もちろん他のテーマを用意しても
よいでしょう。このような考えは東海大学の教育センターの飯高先生の言われたこと
を具体化したものです。氏は「ガロアのように谷山さんのように」とよばれる一文を
ご自分のホームページにのせておられています。数学のみでなく勝負ごとで囲碁や将
棋なども選択の授業にとりいれたらよいと思います。私は高校の体操の時間に剣道を
週に一度受けました。いま振り返ってみればよくも反対意見や疲労感もなく3年間授
業をうけつづけたものです。担任の先生は今自宅で剣道の塾をひらいておられます。
またいまやってるかどうかわかりませんが小学校の校庭に相撲の土俵がつくってあり
実際に相撲をした記憶があります。将棋はプロの棋士の米長さんが全国の学校に広め
ようと運動するといわれたことにヒントを受けました。
数学のセミナーについては送り手と受け手の選定をどうするかが問題でしょう。
そのへんでは世界数学オリンピックの成果が参考になると思います。
最後に藤原先生の強力なペン力で代数の基礎の理論を分かりやすい本で世に
出してください。新カリキュラムでは小学校から高校までをゆとり教育の時間がある
ので先生たちはぜひとも工夫をして学生の学力低下をくい止めてください。
この文は藤原先生あての手紙のつもりで書きました。
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私はわりと本を読むのが好きなほうであるが自分で本を書いたことはない。作家の人た
ちがどんな苦労をして出版されているのか少し前までわからなかった。司馬遼太郎さん
は生前「坂の上の雲」という著書を出版されるのにご自分の40歳代をすべて使ったと
いわれていた。長編の作品を世に出すにはそんなに時間がいるのかすこし驚いたと思う。
作家として独立して生活していこうとすれば年間壱千万円から弐千万円ぐらいあればよ
いと思うが印税は相当売上がなければ収入もたいして期待できない。いろいろな雑誌に
小説やコラムなど定期不定期に作品を掲載させてもらわなければやっていけないような
気がする。私は夏目漱石の著作を豪華本で読んだが対比される森鴎外の著作はほとんど
読んだ記憶がない。
私の父が漱石の全集を買ってくれたのでなんとなく読んだのだが鴎外の本は買ってもら
わなかったせいか読書の対象とはならなかったのかもしれない。私の家は町中にはなく
福山市郊外であったせいか本屋さんも町に一軒あるだけだった。小中をとうして買った
本はわずか2さつか3さつであった。学習参考書を除いて。もし家の近くに本屋があれ
ばよく立ち読みでもしたかなと思う。その点学校に図書館があったのがよかった。
戦後日本の出版業界は紙の不足や言論統制で一時不振を過した。出版された本も現在の
ように多数ではなかったのではないか。しかしまんが本は少年キングや少年マガジン
などよく買い、くらい枕元でよくそれらを読んだ。おかげで近視になった。余談だが
近年でた本で気に入った本は城山三郎氏の「粗にして野だが卑ではない」や「わしの眼
は十年先が見える」がある。氏のほかの作品もよいのがあるが正確には書名を覚えてい
ない。
歳を経て鴎外の著作を手にしても依然として読もうとは思わなかった。歳若くして鴎外
の作品はあまりにも難解であったのかもしれない。とっつきにくいのだ。
フィクションの作品でも初めから終わりまで絵空事ばかりではなく何カ所かで現実の事
をいれているはずである。ましてノンフィクションの場合は事実を追うのでどれぐらい
大変かと思う。
また余談だが私が小学生のころ近所の同級生はお母さんに薦められたのか小学生新聞を
とっていた。そのせいかどうか判然としないがJ・F・ケネディを知っていた。
尊敬していたのかもしれない。私も名前ぐらいは知っていたが詳しくはしらなかった。
言わずもがなだが彼は優れた米国の大統領でみんなから尊敬されていた偉人である。
読書のいろはは新聞から教わるのが一考であるかも知れない。その同級生は後に国の研
究所で働いている。
しかしこういった昔のことなどかいていると僕のこの世での仕事はいったい何なのだろ
うとふと思い考えてしまう。
とにかく作家という人々がこの世で相当たくさんおられジャンルをまとめてつぎから
つぎへと創作活動を行い文明は進歩してゆくのだろう。
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今回は、平成8年の10月27日(日)福山の市民会館で行われた市制80
周年記念および広島国体記念および福山城博物館30周年記念の「司馬遼太郎
の世界」展示会の開催記念講演会がありました。なんだかとても長い記念行
事の名前だと、ここで書きながら自分でも思います。そこで阿川氏が「司馬
遼太郎と海軍」と題して講演されたのです。1時間30分の時間でしたが、
なかなか聞きごたえがあったので、記憶にのこっていることを2つ3つUP
します。
阿川さんは、大正9年(1920年)生まれだから現在76歳ぐらいのはず
で、氏のことをよくご存じの方もおられるかもしれませんが、私の親父より
1つ年下ぐらいの年輩の方ですね。最近、氏よりも若い司馬さんや遠藤周作
さんがなくなられたので残念だということを言われていました。私もそんな
に間近ではっきりと拝見したわけではないのですが、なんとなく年をとられ
たなという感じを受けました。
海軍とは日本の旧海軍のことですが、まずその海軍は「ユーモア」というも
のを大事にしたということです。もっとつっこんで言えばユーモアがわから
ないやつは海軍軍人にあらずとまで内部で言われていたそうです。ではその
大事にされたものは、いったい何なのかというと、対象にのめりこまずに、
すこし離れたところから物事を客観的に見るときの状況のおかしさのような
ものであるとのことでしたが、正確にはよく覚えていません。たぶんそのよ
うに言われていたと思います。それは危機的状況に陥ったとき、周章狼狽せ
ず、落ち着いて大人の知恵を出すこと、またそれによって事態を良い方へ打
開することでもあると。
それからそれらは英国の海軍の長所を真似ようとしたころからきているとも
言われていました。明治以来諸外国に色々なことを学んできたわけですが陸
軍はドイツから海軍はイギリスからいろんなものをとりいれようとしてきた
のですね。私もそのことは悪いことではなかった気がします。
ただ旧海軍の伝統が上から下まである階級のすべてにわたって共通であった
のかどうかは、私にはすこし疑問のあるところです。
その辺のことは、氏は統帥権のことで内政に干渉しようとしたりしたことに
海軍も関係があり、国を守るはずの軍隊である海軍が戦争を起こし亡国寸前
まで敗北したその海軍をほめることはどうしても矛盾があると何回も言われ
ていました。
私などは、なにかやっているときは他のことがまるっきりお留守になってい
るというか、将棋なんかでたとえるとへぼの長考とでもいいましょうか、ま
あはっきりいって自分のことがよくわかっていないものですから、阿川さん
のユーモアの話にはまいりました。
それから海軍の士官および工廠などの技術者に積極的に外国を見学にいかせ
たことです。いろいろな機会を作っては若手を海外へ出したそうです。軍艦
を作っていた技師の下の技手クラスにもそういう機会を与えていたそうです。
現在のように手軽に海外旅行のできる時代ではなかっただけにたしかにこれ
は大変なものです。しかしながらですね
うらを返せばそれだけ世界の情勢に敏感であったというか、もともと技術が
なかったからまねをし続けようとしたのか、一大組織であったからできたの
か、はっきりしません。これはべつに私の悪口ではありませんけど。
いろいろな海軍の良き伝統がいつの頃からか、うすれ変質したのは人によ
って説のあるところだけれども、満州事変のころからとか、日中戦争のころ
からという人があるとも言われていました。
ここについては私は異論のあるところで、司馬さんが言われているように
日露戦争の終わったころからすでにもう駄目になっていっていたのではない
かと思います。
あっと言う間に終わった講演会でしたけど、阿川氏に拍手で終わりました。
これを書かせてもらった氏に感謝いたします。
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最近何年も前に買ってまだ読んでいない本を読んでみてかなり感ずる所があった。それ
が大原總一郎さんの評伝である。中公文庫から出ている。
戦前日本の10大財閥のひとつとされた大原財閥の継嗣者であり五十八歳で大腸癌の為
若くして逝去された方である。氏は若い時から自分の系列企業やその他の会合に多く働
き激務の中で多くの文章を残されたという。總一郎氏は大原美術館の所有者として有名
であったが、その他に一〇社以上の会社の社長職に生前中現役であられたかたである。
大原孫三郎さんが父で、中国銀行の頭取やクラレ社長などをされていた。母親は福山の
深津の出身であり子供のころよく遊びにいっていたという。總一郎氏の息子さんが謙一
郎さんであり現在大原美術館の館長をされていると聞く。
氏の思考は重要であるのであえてここに抜粋して記させていただく。経営者であり文化
人でもある總一郎氏はいまから五十年ほど前に現在でも考慮すべき言葉を多く残された
という。著者の井上太郎さんの本からの引用だが皆さんが実際に実の本をよむ縁になれ
ばと思う。井上さんは多くの資料に目を通され、それから本に転記されたのである。私
は孫引きにすぎない。
「あすをひらこう」から
人間には、自分の能力の限界をこれだけだと決めてかかる権利は与えられてはいない。
どんな場合でも、その人の中に潜んでいる人間の能力は、自分や他人が判断する限界
よりも、はるかに大きいものである。
「心のやすらぎ」から
人間の値打ちとは、外部から成功者と呼ばれるかよばれないかには関係のないものです。
むしろ、成功者などと呼ばれない方が、どれだけ本当に人生の成功への近道であるかわ
かりません。
だれが釈迦やキリストを成功者だとか、不成功者だとかいう呼び方で評価するでしょう
か。現代でも、たとえばガンジーやシュバイツァーを成功者とか失敗者とかいういい方
で評価するでしょうか。
世俗的な成功の夢に疑惑をもつ人でなければ、本当に人類のために役立つ人にはなれな
いと思います。
「近代美術と近代精神」から
近代精神とは、自他ともに対する客観的精神、批判的精神をもって、その本質とするも
のでなければならない。それが、たとえ、世界の名だたる近代の巨匠の作品だからとい
って、むやみに度外れた感激を強いて装う必要はないであろう。近代美術への憧れの中
にひそむ巨大な事大主義、無批判、迎合、屈従等の悪徳の影に、懸念を感ぜずにおれる
だろうか。
日本の現代は、見方によれば新興宗教の時代である。宗教の名による、科学の名による、
芸術の名による、新興宗教の阿片の香につきまとわれている。(中略)
ピカソやブラックが分らねば分からぬで、なんの差し支えもない。むしろ分からないも
のを分からないといえない要素が、国の平和や民主化の妨げとなり、それが漸次独善の
上に居丈高になって、自由をも文化をも、また「近代美術」そのものさえも、滅ぼす要
因となることを、おそれなければならない。
「思想の自由」から
私は表に出ている大企業の系列以外に、財閥といえる程のなにがしかの経済的な勢力が
別にあると思う。表通りのものとそれ以外のものと、日本の資本家の中で二種類のもの
ができていると思う。それらのものが政党資金、政治資金の問題で複雑な動きをすると
思う。大企業の系列とは別に、一口にボスといわれる権利とそれらの背景を成す経済勢
力があるように思う。こういう形は近代的な資本主義社会といえないだけでなく、そう
いう社会の在り方、そうゆう資本主義の在り方というものが、今日の日本の社会をとら
えどころのないものにしていると思う。また、政治家などが、そういう勢力になにがし
かの敬意を払わなければ選挙ができなくなるのではないかという懸念さえある。
「社会開発と国民生活」から
あれも自分の責任ではない、これも自分の責任ではない、あれは社会の責任だ、これも
国家の責任だといい、しかも国家に予算がないといっておれば、だれも気をつけてくれ
るものがいなくなって、社会のいたるところに空洞ができてきます。日本には、その空
洞があまりにも多く発見されます。(中略)
いかに経済が成長して飲めや歌えやの大騒ぎをして、レジャー産業が大入満員であって
もその社会は冷たい社会であります。それに反して生活は質素であり、一見平穏で冷静
な社会であっても、ある一つのことについて、私もその責任を持ちましょう、これは私
の責任でもありますというような、責任が重なりあっている社会は心の暖かい社会であ
ります。
責任ということが利権であってはならないとは思いますが。念のため。
「経営者の人間像について」から
経営に利潤を与え、かつ、消費者にも利益を与えるという経済行為でなければ、社会的
な意味でもそうであるが、経済的な意味での責任をも、本当の意味では果たしていない
と思う 。(中略)
純論理的にいえば、たとえば土地への投機的な投資という仕事も、非常に多額の利潤を
生む事業である。こういう企業も公然と民法、商法で許されているのである。しかし土
地の値上がりというものから上がる利益は、経済的にはその企業にとっては利益である
けれども、国民経済的な意味ではそれは単なる占有による価格によって、ある人からあ
る人へ貨幣が移り利潤をあげたというだけのことであって、なんら経済的な効果を上げ
ない。(中略)
それが土地のマージンによって利益を得た人の所得になってなにがしかの購買力になり、
あるいはなにがしかの使用人の給料になるとか、自動車の購買力になるとかいうように
ぐるぐる回ってはくるが、それは必ずしもそういうルートで回らなくてもよいものであ
る。ただそういう回り方をする場合に起こす経済的効果は原価高、生活費高という効果
であって、技術革新がコストを下げて製品を安くし消費者にも便宜をはかり、又輸出競
争力を増すというものとはその役割が違っているように思われる。
従って私は企業の社会的責任という場合には、何がしか新しい国民経済的な役割をその
中にもちながら発展するということでなければならないと思う。単に物をもっていて、
その値上がりを待って売るという経済行為は、いかに利潤が高くても、この利潤の高さ
は国民経済的貢献の度合を示していない。
私が文庫の中で気の付いた文章を抜粋した。基本的にコメントはしないことにします。
まだ他にも多数の文章があると思うが、読者の皆さんが調べてみて下さい。氏の残した
言葉はその先見性と実践にもとずいて我々に勇気を与えてくれる。
現在をふりかえってみるときその財政的な破綻は先の大戦にだれの責任かわからないま
まずるずると国家が敗亡していった状況となんと似ていることだろう。
總一郎さんはその最期にあと十年生かせてくれたらと嘆かれたという。氏の父親の孫三
郎さんが始めた事業はその後一つとして無くなっていないという。それも總一郎さんの
功績の一つであろう。
某TVの特番で「大原孫三郎さん」というものがあった。そのなかで外国人のかたが
倉敷のことを次のように語っておられた。スピリッツ オブ オオハラ リブズ オン
ヒア。なんとも感動的な言葉である。
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