母の死
何かの本に書いてあったことだが人間が死ぬ時には脳の中であるプログラムが
実行されるという。遺伝子に組み込まれたものだが。事故などで即死する場合
を除いて。何が実行されるのか不明だがその死に行く間際にそれまでの一生が
走馬灯のように脳裡に浮かぶのではないかという気がする。いや、愛する者達
との別れを一番辛いと思いながら意識が無くなるのかもしれない。そのプログ
ラムのことはあまり良く覚えていないのでここでの記述はかなり曖昧である。
死について考えると良いことは何も無い。基本的に。ただし犯罪者などを除いて
だが。私は母の血圧が六十位だという父からの連絡を聞いて午前三時ごろ病院へ
駆けつけた。既に意識は無く、その数十分後に永眠した。他の近親者は皆集まっ
ていた。次姉は僕が来るのを母が待っていたようだね、と言った。
私の母は七〇歳で他界したが、入院してからわずか二ヶ月でのことだった。あま
りのあっけなさにいまだ信じられない気がする。末期癌であった。死の間際に親
族に看取られながらのことだったが、そのとき母の左の眼から小さな涙がころこ
ろところがった。皆と別れるのが辛かったのだと思う。癌と分かってから私の職
場から昼休みに毎日のように病院へ見舞いに出かけた。付き添いは父が常駐して
いたけれども、母と握手したときの感触でその時どのくらいの状況かなんとなく
分かった。
難病に苦しんだり、貧困にあえいだりしてもう死んだ方がましだと思っている人
も多数おられる。実際に自殺する人が三万人ぐらいいる。幸せと苦しみを繰りし
てあの世へいつかは行く。人間は生きている限り生まれついての人生がある。人
は生まれついての環境を選べないのだ。だが現在人生の道半ばにして他国へ拉致
されたり、いじめで悩んでいる生徒もよく耳にする。私達が若い頃はいじめ等の
話は聞いたこともない。
何かのCMで「人生って長いの短いの」というフレーズを聴いた。少し考えさせら
れたがだれの生でも四季はあると思う。信念として。
日本はともかく外国では餓死する人が何百万もいるとか聞く。日本でもホームレ
スの人の話は時々聞く。死は死ぬ人の物理的なものをすべてその人から奪ってし
まう。天命の死ならばやむをえない。だが過失による死はその悲しみはいかばか
りであろうか。他人に殺されたりしたときのや業務上の場合である。
最近幼児や児童の殺人事件をよく聞く。日本人の倫理感は変化してきているのか。
もしも教育の現場の方が子供の状況をよく掴んでいないのならば反省するべき点
はあるだろう。
母は癌の発見が遅れたが、その点で医療の方に過失はどうなのか気になるところ
である。
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